(野球)少年よ、大志を抱け‼

どうも。
元野球少年です。

小学3年生の頃に野球を始め、ボーイズ・高校・大学と硬式野球をやっておりました。
僕の些末な野球経験は大したドラマもないので割愛しますが
現役時代に大変好きで憧れていた投手がいます。
メジャーリーグ挑戦のパイオニア、野茂英雄投手です。

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1990年、ドラフトで8球団(現在も最多指名記録)から指名され、
最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占したほか、
ベストナイン・新人王・沢村賞・MVPに選出され、8冠を達成‼
翌年以降も最多勝と最多奪三振のタイトルを取り続け、
新人から4年連続で最多勝と最多奪三振のタイトルに輝いた・・・
輝かしすぎる‼

そんな文句のつけようがない野茂投手ですが、理解のない球団や監督との確執があり
任意引退という屈辱的ともいえる処遇で球団を去ります。
そして、メジャー挑戦表明。
今でこそ、日本人メジャーリーガーは珍しくありませんが
1995年当時、(野茂投手ほどの実力者でも)日本人選手がメジャーで活躍するなど
現役OB含めたプロ選手もマスコミも、そして世間も誰もが夢にも思っていませんでした。
連日のニュースや新聞でも、「メジャーで通用するわけがない」「すぐに逃げて帰ってくる」
「勘違いで自意識過剰」「生意気」などと散々に批判されていました。
僕の記憶では、「野茂は活躍する」と公言した野球関係者やジャーナリストは1人もいませんでした。

しかし、野茂投手はそれらの批判に対して一言も反論せず
沈黙を貫いたまま黙々とメジャーからの契約を待ち続けていました。
世の中には、自分に対する聞くべき批評や耳を傾けるべき批判というものはありますが
悪口や妬み嫉みに基づいた聞くに値しない発言には反応しない、そのような姿勢に見えました。
そういう覚悟が感じられる有名なエピソードがあります。

当時の野茂投手に期待していなかったのは国内だけではなく、受け入れる側であるメジャーもそうでした。
ロサンゼルス・ドジャースと(メジャー契約できず)マイナー契約を結びましたが
年俸は近鉄時代の1億4000万円から980万円に。それでも野茂投手は記者会見で笑顔を浮かべ、
「みんなに憧れられる選手になりたい。でも自分はこれから続く人のためにも失敗はできない」
と抱負を述べました。前人未到の挑戦をしながら、後発の人のことも考えている・・・カッコいい‼
しかもイケずなメジャーリーグ関係者から
「英語はしゃべれるのか? 少しくらいは勉強しておいた方がいいぞ」と言われ
「僕はアメリカに英語を覚えに行くわけではない。野球をやりに行くんです」と即答。
男前すぎるやろ。

海を渡ってからの活躍は皆さんご存知の通り。
メジャー初年度からオールスターでの先発という大役を果たし、
最多奪三振のタイトルを獲得するなど大活躍、新人王に選ばれました。
その後も活躍を続けて、ドジャースとレッドソックスでノーヒット・ノーランを達成。
メジャー史上で4人しか達成していない両リーグでのノーヒット・ノーラン達成者となります。

2008年に現役引退し、現在も自ら立ち上げた「NOMOベースボールクラブ」などを通して
野球の裾野を広げる努力を続けておられます。
あの時、野茂投手がメジャーに渡っていなかったら、今の日本人メジャーの活躍もなかったと思います。
あれだけ全てが逆風のなか、先駆者として自分の夢と信念を貫き結果を出すなんて
同時代性をもって見ていた当時の高校生(僕)は心底̪シビれました。

野茂投手の魅力はこれだけではなく、投法や配球のこだわり・引き際の美学など
まだまだ語りたいのですがもう十分長すぎるので今回はこの辺で。

最後に・・・
野茂投手のような素晴らしい野球選手を目指す野球少年を応援する
ZETT株式会社様が、野球少年撮影モデルを募集しています‼

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